ホビージャパン「仏像フィギュアのすゝめ」
近年フィギュア業界に新しい波を起こしている「仏像」ジャンル製品のいわばガイドブックです。
内容のおおよそ半分はこの分野をマニアだけでなく広く一般の域にまで広げた(それは例えばフィギュアマニア以外の一般であったり仏教マニア以外の一般であったりと複奏的なムーブメントですね)海洋堂リボルテックタケヤの仏像シリーズを紹介しています。
ご存じのようにこのシリーズは大別してふたつのカラーパターンがあるのですが、取りあげられているのは主に「彩色版」の方で、天平文化の鮮やかな色合い・造形を今に伝える美しい造形と細部の塗り分けを美麗に撮影しています。
商品のパッケージには記載されなかった仏教美術としてのさまざまな意匠もポイントごとに解説されています。最近のリボルテックはこの辺の付加価値的な情報が抜け落ちてるのはいささか残念なことではあり(コストダウンのための、やむを得ざる処置だとは了承しているのですが)
年月を経て風合いを増した(英語の原語通りのweatheringですねえ)日本の仏教美術にはシックで一種禁欲的なイメージを感じられるものが多いのですが、それらが創り上げられた当初はもっとビビッドで晴れやかな塑像であったことを再確認させてくれた「ホビー製品」はやはりエポックメイキングな存在であったと言えましょう。
このシリーズ当ブログでもいくつか取り上げたことはありますし、ネットの画像投稿掲示板でも大きな人気を得ています。そこには概ね「仏像」に対して通常ありえないようなコミカルなポーズ、小道具などを絡ませてある種のギャップを楽しむようなノリがあるのですが、残念ながら本書ではそちら方面の要素は少なめです。それはネット上の趣味領域とは違って広く一般の目に触れる「書籍」としては当然の編集姿勢でしょう。なんかちょっと「NHKテキストを読む読者層」と親和性が高いような気が。
多聞天の背後に「国士無双」なんて書いちゃうのは漢籍の原典を考慮しても関係ないんじゃネーノなんて思いもよぎりますが、なーに格好良ければ万事解決で、格好良い仏教や格好良い日本文化を提唱するような意味合いもあるのでしょう。「武者頑駄無」みてーなもんですよたぶん(←適当)
要所要所で仏教そのものに対する説明、解説のページが折り込まれています。知ってるようで知らないことも多いのが日本人の仏教受容ですから、趣味の観点から履修できるのはよいことです。
それ以前にも布石はいくつかあったと思われますが、やはりこのリボルテックタケヤの仏像シリーズはインパクトの大きな製品でした。最新のラインナップは八部衆の迦楼羅が控えていますね。
本書後半はイsムによるレプリカ・インテリア的な「仏像フィギュア」を紹介しています。お値段やサイズともに一介のホビーファンにはなかなか手が届かないものですが、大量生産品には無いハイエンドな美しさが備わるちょっと別格な存在か。
仏像の製品化としてはこちらのフォーマットの方が歴史あるものではないでしょうか?昔はよく土日の新聞にこのような製品の通信販売広告が載ってたように記憶します。
この辺りには単に「趣味」としてではなく、少なからず「信仰」の要素も織り込まれてくるので迂闊なことは言えないのですが、普段プラモデルやアクションフィギュアを嗜まれる方々に、新しい世界を提示するものではあるのかもしれません。
巻末にはマニア視点での仏教ネタと言えばこのひとみうらじゅんと本書執筆も担当する田中ひろみ両氏による対談が収録されていてこれがなかなか読みごたえのあるものです。イsムでの製品プロデュースにも携わっているみうらじゅん氏の語る、仏像のフィギュア化に関わるいくつかの難点はそのまま海洋堂製品のラインナップに関する疑問点を解き明かしてくれるものだったり、円空仏をお金出して買うのは危険だったりとまあいろいろ面白い。円空仏のストイックな造形は自分も好むところですが、まー自分で彫ったほうが早そうな気がします(笑)人は自分自身で作った仏像を「仏像」として扱えるのだろうか、疑念は生じるものですが……
ちょっと前に出た本書をあらためて精読していて、ようやくひとつの疑問に決着を付けることが出来ました。「仏像フィギュア」は果たして「仏像」なのかそれとも「フィギュア」であるのか? これは大変繊細な問題であり、あくまで個人の、私的な見解であることを前もってお断りしておきますがその上で。
仏像フィギュアが仏像であるかフィギュアであるか、答えはおそらくモノではなくてそれを扱う人の中にこそあるのでしょう。その人が仏像だと思えば仏像として敬うべきであり、フィギュアであるとするならば、フィギュアとして楽しむべきでありましょう。大事なのは個人の在り様、主観のかたちであって、他人からとやかく言われるようなことでは、ない。
「イワシの頭も信心から」とはよくいったものです。そこに疑うことの無き信仰心があるならば、イワシの頭は決して「イワシの頭」ではないのでしょうね。
ですから、ガンプラを信仰対象として崇め奉るひとがこの先あらわれても、そのこと自体は非難されるようなことではないのです。ガンダムを用いた両界曼荼羅図のようなものは既に映像化されておりますし、ガンプラには古びた仏像などよりはよほど業界に御利益もあります(それはただの俗物根性だ)
いささか脱線しましたが、だいたいそんな感じの内容です。仏教や仏像というものに、新たな角度から光を当てるのも大事なことでしょう、ええ。かくいう私も本書を読んでこれまで考えたことも無い、まったく新しい概念を会得することが出来ました。ここに書いてしまうといくらなんでも罰当たりなことですので、敢えて書きはしませんけれど、
もしもネット上で匿名の紳士が「MY夫人のわきprpr」などとつぶやいていたらそれは絶対に私ではないので無用の詮索はご遠慮願いたい。