モデルファクトリーヒロ「ジョー・ホンダレーシングピクトリアル#4 マクラーレンM23-M26」
ジョー・ホンダ氏による美麗フォト満載の写真集、第四弾は先ごろタミヤのプラキットが久方ぶりに再販されたマクラーレンM23をメインに後継車両のM26まで網羅した、5年間の軌跡を伝えます。
これまでのシリーズ既刊では「1年間」を切り取ったスタイルでしたが、今回は1973年から78年にかけての時期を扱っています。そんなわけで1976年仕様の1/20、1974年仕様の1/12、どちらのキットを作る際にも資料として十分使えることに。
マクラーレンM23は一時期はマクラーレンの代名詞ともなったマルボロ・カラーをはじめて纏ったマシンとしても有名です。タミヤの2つのキットもデカールこそ現在では付属しませんがマルボロマーキングを模型化したもの。普通はM23といったら紅白饅頭のようにおめでたい方が有名です。超メジャーです。でもね、
極めて個人的な事情でヤードレーカラーの方に親近感が湧くたちなんで、そっちのフォトもしっかり掲載されているのが嬉しい限り。実車はこうだったのかーと、やっぱりタミヤの1/12「ヤードレー・マクラーレン」で知った身としてはいろいろと懐かしい。うむうむ。ドライブしていたマイク・ヘイルウッドの名も、初めて知ったのはタミヤのバイクプラモだったなー。
本文内容ですが1974-76年を中核に据えて前後の73年、77-78年はダイジェストとして掲載されています。記事のボリュームに違いはありますけれど、M23の進化の様相は確かに捉えられています。こちらは巨大なインダクションポッドが特徴の74年仕様。
イメージを一新した76年仕様。F1マシンの歴史はレギュレーション変化の歴史でもありますが、そんな中で数年に渡って上位に在り続けるのも偉業だなぁとか思う訳です。まあ現代のF1とはマシン形式やマイナーチェンジに於けるネーミングの扱いとかいろいろ違うんでしょうけどねー。
こちらはM26、78年モナコGP仕様。77年日本GPの優勝で記憶されるマシンですが、いろいろ不遇なクルマだったようでもあり…
多くのグランプリが掲載されるなかで1974年に富士スピードウェイで開催された「1974ワールド・ウィナーズF1デモンストレーション」なるイベントの写真がひときわ目を引きます。日本GP開催以前の時期、わずか5台、たった5人のドライバーだけによる宣伝目的のお祭り興行なのですが、フィギュアスケートのエキジビションにも似て、どこか平和で平穏な光景ですねえ。
勿論マシン内部のディティールフォトにも抜かりはありません。内側に傾斜したインテーク・トランペットは74年オーストリアGPからの一枚。
70年代のF1シーン、いまとは確かに違う光景ですけれど、速さを目指す行為は昔も今も変わらないものですね。このシリーズ、実はマシンだけでなくその周囲に写り込む人々やサーキットの風景に時代性を感じさせるものがいくつも見られます。そんな意味でも貴重な記録です。
バーニー・エクレストンにも若い頃はあったんです。当たり前です。
隣にいる人は科学特捜隊パリ本部から来たアンヌ隊員です。あからさまなウソです。
そんなこんなで色んな意味で70年代テイスト炸裂な一冊なのです。
おまけ。youtubeで発見した「元F1ドライバー、マーティン・ブランドルによるマクラーレンM23試走映像」にビックリ。
なにがビックリって冒頭に出てくる小太りのオッサン誰ダコリャと思ったらそいつがマーティン・ブランドルだったんだよ!老けたなぁ…