大日本絵画「北アフリカと地中海戦線のJu87シュトゥーカ 部隊と戦歴」
雪が降ってあんまり寒いんで脳内だけでもサハラ砂漠と地中海気候に行きたくなる今日このごろですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
オスプレイ軍用機シリーズNo.31北アフリカのシュトゥーカとしてはあまりにも有名なガラガラヘビのマーキングを施したフーベルト・ペルツ少尉機を表紙に据えてメジャー路線に急降下…
と思いきや、やっぱりそんなことはなくマイナーな話がいっぱい載っててマイナー嗜好の自分には嬉しい限りです。イギリス地中海艦隊所属の航空母艦イラストリアスとの対決に始まる当該地域でのJu87の活躍を、副題にもあるようにエースパイロットではなく部隊に焦点を当てた内容で個人技よりも共同作業を好む向きにピッタリ。スツーカ隊(古い人間なのでどうしてもこう呼んでしまう)と言えば超個人プレーなあの人がすぐにも思いだされましょうが、幸か不幸かこの戦域では飛んでないんで後部銃手が過労死しかけることもない(笑)
もともとこの地域はドイツ軍の戦略上では二義的な地位を占めていて、バルカン半島も北アフリカも、本来ならばイタリア軍が担当する筈の場所でした。いわば尻拭いで出撃していったギリシア、特にユーゴスラビアでの戦歴はいろいろと興味深くて――中立宣言も無防備宣言も、機能するかどうかは攻撃してくる側の胸先ひとつですね――以前取り上げたクロアチア空軍本を参照しても面白いかも知れません。
イタリア空軍の使用したJu87についてかなりのページ数を割いて記述されているのは個人的に嬉しいところで、太平洋戦争の日米航空機に先んじて艦船に対する反跳爆撃を実行していたと知って驚くことこの上なし。発案者の名を取って「チェンニ戦術」と呼ばれてるそうでイタリア人すげぇ。呼ばれているといえばイタリア軍ではJu87のことを「頭が少し変な人」の意味で「ピッキアテリ」と呼ぶそうです。スツーカはドイツ軍、ピッキアテリはイタリア軍。ちゃんと区別して呼びましょう。イタリア人以外は誰も区別しなかったそうですが。あと、無様な失敗作に終わった純イタリア製急降下爆撃機、サボイア・マルケッティSM.85と同86のことが ほ ん の ち ょ っ と だけ書いてあって泣かす。
発案と言えばクレタ島の地勢に合わせてドイツ軍で発案された航空爆弾用の延長信管――先っちょに金属棒を溶接したもの――は、発案者の名を取って「ディノルトのアスパラガス」なんて呼ばれたそうでどんだけアスパラ好きなんだドイツ人はw
とはいえやはり本書内容の中核は北アフリカ戦線でのスツーカの活躍で記録写真も多数、アフリカならではのユニークなエピソードも適時交えてDAKを空から支えたスツーカ隊の活躍を記録しています。ドイツ空軍にちゃんとした雷撃機があれば、もちっと海上交通路遮断も上手くいったんじゃないかなーとか思いながら読むことしきり。
ピラストリノ要塞を攻撃するスツーカの記録写真見てたらPS2ゲーム「パンツァーフロントausf.B」をプレイした記憶が呼び覚まされて妙にニヤニヤしちゃう(笑)
あのゲームの航空支援は頼もしかった…よな?(記憶は美化されるものです)
燃料切れで不時着したイタリア軍のスツーkあーいや「ピッキアテリ」を、ふたりのイギリス空軍士官が在りもしないブービートラップに怖れ懸架されたままの爆弾の処置に悩みマニュアルも無いままドイツ語の計器を無理やり読んで飛ばしてまた故障して地元の友軍に整備してもらって誤射の恐怖にビクビクしながら自軍の防空陣地を――何故か後席には海軍の駆逐艦艦長が乗り込んでんだぜ?――越えていくエピソードは本書の中でも屈指の笑いどころです。北アフリカ戦にはこういう話が多くていいよな。
初期電撃戦では猛威をふるったスツーカも、アフリカ戦に於いてその戦力的な地位は低下していました。目標部隊が密集していたヨーロッパと違って開けたアフリカの地勢では急降下爆撃の破壊力は減衰し、対空砲火の効果的な運用や連合軍から完全には航空優勢を奪えなかったことなど理由は様々ですが、本質的には開戦初頭に恐怖の悲鳴を上げるサイレンとともにやって来た「スツーカ!」への畏怖や伝説が、既にして虚構の神話であると明らかになっていた為なのです。
ドイツ軍のアフリカ撤退以降のスツーカ部隊の南部ヨーロッパでの活動も、本書には記述されています。鈍足なJu87は東部戦線よりも遥かに連合国空軍機の脅威に晒され、イタリア降伏後の混乱の後も飛び続け、最後には暗緑色の迷彩塗装を施し長い消炎排気管を備え、擾乱爆撃を行う夜間地上飛行隊として戦争末期までスツーカ部隊は飛び続けていました。
まあ、なんだな、ルーデルが出てこなくても面白いスツーカ本もちゃんとありますよってことでひとつ。