大日本絵画「第二次大戦のフランス軍戦闘機エース」

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オスプレイ軍用機シリーズNo.23は第二次大戦のいわゆる列強諸国の中でも複雑な立場に置かれたフランスのエースパイロットたちを紹介しています。

全然関係ないところから話を始めます。もう20年近く前のことになりますか、なにかのTV番組(バラエティー番組)で最近の若者の学力低下を嘆くような企画がありました。路上アンケートでいくつかの国名を「第二次大戦の連合/枢軸国家に分ける」ような内容でしたね。例によって誤答続出、司会者始め出演者一同嘆きに怒りにで「正解はこちらです」と知った風な顔して…

イタリアは枢軸国、フランスは連合国の扱いでした。いや、それでいいのかよ。

と、そんな記憶を急に思い出す、ヴィシー・フランス空軍機が表紙の一冊です。

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二次大戦開戦直前に於けるフランス空軍の準備不足は高性能の新型機を確かに開発しているのに数を揃えることが出来ず大量の旧式機を抱えたままの開戦を余儀なくされます。ただでさえ整わない生産体制を阻害する様々な要因とさらには旧態依然たる空軍の戦略はマジノ線に代表される陸軍のようにまったく精彩を欠き、いわゆるファニーウォーの小競り合いの先に待っていた電撃線で完膚無きまでに叩きのめされる。

そんな中でもエースパイロットは生まれて来ますが、掲載されている多くの写真は画質も悪く、そもそも破壊された機体ばかりです。戦争に負けた国ってそんなものかも知れません。

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その後ドイツと休戦条約を結んだフランス政府は枢軸側の一員となって戦います。この時期のヴィシー・フランス空軍機は敵味方識別用に描かれた赤と黄色の帯模様が却って派手な、悪趣味というのもなんですが、そんな機体です。プラモで再現するのは塗装でもデカールでもしんどそうです…

およそ戦局には何の影響もなかったであろう、フランス領シリアに於けるイギリス空軍との交戦も記述されています。フランス軍エースパイロットの中にはレオン・リシャール大尉のようにドイツ機をただの一機も撃墜しなかったエースも存在します。

そう人…ですね。自由フランス軍に属してイギリス軍と翼を並べたもの、ソヴィエト空軍に加わった者など二次大戦のフランス軍エースパイロットは複雑な立場に置かれ数奇な運命をたどった人が少なくありません。写真の質が良くなくてもそれを補うのは本分の記述そのものか。電撃戦に敗れた母国にとどまることを良しとせず、かといって亡命することも無くインドシナ勤務に臨み、かの地で日本帝国に諂う同胞に見切りをつけて重慶に脱出、その後ロシアに渡り高名な「ノルマンディー・ニエメン」飛行連隊に所属し三代目の指揮官となって戦後まで戦ったピエール・プヤード中佐がもっとも数奇でありましょうか。チェコで生まれドイツ占領後フランスに亡命しフランス敗戦後は更にイギリスに逃れその後ソ連空軍のチェコ戦闘機連隊に所属したヨゼフ・シュテフリク大尉の経歴もかなりの冒険野郎に違いない。

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如何にも曲者ぞろいでありそうなフランス軍パイロットの中でも、とりわけ有名な人物がいます。正確には偵察機乗りで「エース」パイロットでは、ありません。戦前から民間航空のパイロットであったこの人物は、二次大戦当時には年齢制限から本来第一線に立つべきではなかったのかも知れません。それでも前線勤務を願い、P-38戦闘機の非武装偵察型F-5ライトニング機に搭乗し、1944年に消息を絶ちます。

サン=テグジュペリ大尉の名前は「星の王子さま」などの文芸作品で日本でも知られています。

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ピエール・ル・グローン中尉ヴィシー・フランス時代のD.520とソ連空軍ノルマンディー・ニエマン連隊ルネ・シャル中尉のYak-3。どちらも地味な迷彩に派手な識別塗装が目を引きます。やはりノルマンディー連隊に所属していたマルセル・アルベールの回想に「どうしてロシア人がYak-1、Yak-9、Yak-3の順番で型番号を付けたのかいまだにわからない」なんて言葉があって苦笑。確かにww

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立場の違いはあれども共通していることが一つ。二次大戦のフランス機はマーキングに個性的で面白いものが多いです。例え所属する陣営が異なっていても絵心は共に秀でているようで、その辺やっぱり芸術の国、なんだろうか。

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